第二の転機 再び揺れる夫婦関係
肺の調子は悪かったものの、夫と仲直りしたことで穏やかな日々を送っていました。
それまでほとんど会話も無く、別々の部屋で過ごしていた私たちですが、仲直りしてからは夕飯の後二人でテレビを見たり、お喋りをしたりするようになりました。
しかしそんな生活が続いたのは一か月半程度。
夕飯後私がリビングでくつろいでいても、夫は自分の部屋へ行ってしまうようになりました。
最初のうちは淋しいと感じました。
その時その気持ちを夫に話していたら良かったのでしょうが、そっちがそういう態度なら私だって、と、また意地になってしまいました。
夫への不満がぶり返し、私たちの関係は以前にも増して険悪になっていきました。
夫の優しさは一か月くらいしか続かない。
今度優しくされたってもう絶対信じない。
私たちは一生仲の良い夫婦にはなれないんだ。
子供が大きくなったら絶対離婚する、と頑なになっていました。
以前と同じ生活に逆戻りです。
夫と険悪な状態に陥ってから約2ヶ月後、私はMRI検査の結果を聞きに病院へ向かいました。
左肺の調子は明らかに悪いのに、私はそれをずっと楽観視していました。
自分に限って重病を患うはずがないという、よくある幻想です。
なので可能性がある病名を告げられても、初めて聞く病名だったこともありますが、薄い反応を示すくらいしかしませんでした。
とても珍しい病気で、治療には限界があると言ったことを告げられましたが、あまり病院にお世話になったことがないのと、こういう場面は人生初だったため、「そうですか」くらいしか言えませんでした。
それが軽い病気なのか、重病なのかすら聞く発想すらありませんでした。
本当にその病気かを確かめるため、翌週肺の内視鏡検査をすることになりました。
抱いていた幻想が音を立てて崩れ去ったのは、その帰り道、電車の中で病気について調べた時です。
それは余命ままで記された、進行性の不治の病だったのです。
私は愕然としました。
まだ可能性の段階でしたが、まさか自分がこんな病気を患うなんてありえない、信じられないという気持ちと恐怖でいっぱいになりました。
真っ先に思ったのは、第二子が高校生になる頃には私は生きていないかもしれない。
それはどうしても嫌だということです。
そんな深刻な病気だとは知らず、ずっと私の体調を心配していた母に、その病気の可能性があると既にメッセージを送ってしまったことも後悔しました。
帰宅後、夫に医師から告げられたことを話し、その後私は一人部屋で泣きました。
私が死んだら子供たちはどうなってしまうのだろうと考えると、涙が溢れて止まりません。
それまで感じたことのない悲しみと絶望感に襲われ、どうすればいいかわかりません。
その時夫が部屋に入ってきました。
泣いている私を優しく包み込み、夫は一緒に泣いてくれました。
私は素直に恐怖を打ち明け、あと10年は生きていたいと言いました。
夫は泣きながら、大丈夫、私がそんな病気なはずないと励ましてくれました。
そして、喧嘩するのはもうやめようと言ってくれました。
その言葉に救われ、私はようやく少し微笑むことができたのです。