大山ねずの命信示教会について赤裸々に語る

約40年大山ねずの命の落ちこぼれ信者だった私が、本物の信者として歩み始めたきっかけ

第二の転機 再び揺れる夫婦関係

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肺の調子は悪かったものの、夫と仲直りしたことで穏やかな日々を送っていました。

それまでほとんど会話も無く、別々の部屋で過ごしていた私たちですが、仲直りしてからは夕飯の後二人でテレビを見たり、お喋りをしたりするようになりました。

しかしそんな生活が続いたのは一か月半程度。

夕飯後私がリビングでくつろいでいても、夫は自分の部屋へ行ってしまうようになりました。

最初のうちは淋しいと感じました。

その時その気持ちを夫に話していたら良かったのでしょうが、そっちがそういう態度なら私だって、と、また意地になってしまいました。

夫への不満がぶり返し、私たちの関係は以前にも増して険悪になっていきました。

夫の優しさは一か月くらいしか続かない。

今度優しくされたってもう絶対信じない。

私たちは一生仲の良い夫婦にはなれないんだ。

子供が大きくなったら絶対離婚する、と頑なになっていました。

以前と同じ生活に逆戻りです。

 

夫と険悪な状態に陥ってから約2ヶ月後、私はMRI検査の結果を聞きに病院へ向かいました。

左肺の調子は明らかに悪いのに、私はそれをずっと楽観視していました。

自分に限って重病を患うはずがないという、よくある幻想です。

なので可能性がある病名を告げられても、初めて聞く病名だったこともありますが、薄い反応を示すくらいしかしませんでした。

とても珍しい病気で、治療には限界があると言ったことを告げられましたが、あまり病院にお世話になったことがないのと、こういう場面は人生初だったため、「そうですか」くらいしか言えませんでした。

それが軽い病気なのか、重病なのかすら聞く発想すらありませんでした。

本当にその病気かを確かめるため、翌週肺の内視鏡検査をすることになりました。

 

抱いていた幻想が音を立てて崩れ去ったのは、その帰り道、電車の中で病気について調べた時です。

それは余命ままで記された、進行性の不治の病だったのです。

私は愕然としました。

まだ可能性の段階でしたが、まさか自分がこんな病気を患うなんてありえない、信じられないという気持ちと恐怖でいっぱいになりました。

真っ先に思ったのは、第二子が高校生になる頃には私は生きていないかもしれない。

それはどうしても嫌だということです。

そんな深刻な病気だとは知らず、ずっと私の体調を心配していた母に、その病気の可能性があると既にメッセージを送ってしまったことも後悔しました。

 

帰宅後、夫に医師から告げられたことを話し、その後私は一人部屋で泣きました。

私が死んだら子供たちはどうなってしまうのだろうと考えると、涙が溢れて止まりません。

それまで感じたことのない悲しみと絶望感に襲われ、どうすればいいかわかりません。

その時夫が部屋に入ってきました。

泣いている私を優しく包み込み、夫は一緒に泣いてくれました。

私は素直に恐怖を打ち明け、あと10年は生きていたいと言いました。

夫は泣きながら、大丈夫、私がそんな病気なはずないと励ましてくれました。

そして、喧嘩するのはもうやめようと言ってくれました。

 

その言葉に救われ、私はようやく少し微笑むことができたのです。