大山ねずの命信示教会について赤裸々に語る

約40年大山ねずの命の落ちこぼれ信者だった私が、本物の信者として歩み始めたきっかけ

検査結果と本当の救い

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結果は陰性でした。

 

結果が出るまでの4週間、もし大山ねずの命を知らなかったら、不安に押しつぶされ、笑顔になることなどできなかったでしょう。

精神的に参って眠れなくなり、仕事へ行けなくなっていたかもしれませんし、私の暗さが、夫や子供にも悪影響を与えていたかもしれません。

しかし、祈願と教会図書、教会公式サイトのおかげで、不思議なくらい毎日明るく過ごすことができました。

 

左胸が膨らまない感じも日増しに良くなっていたので、夫にもそれを告げました。

何か特別なことをしてるのかと問われ、神様にお願いしていると答えたら、鼻で笑われました。

この時初めて、夫や子供たちにも大山ねずの命の教えを知ってほしいなと思いました。

 

現在信者籍があるのは、私と母だけです。

私が深刻な病気かもしれないと告げられる前は、大山ねずの命をやめようかと思っていたそうですが、検査結果が出るまで私のために祈願してくれました。

症状がどんどん良くなっていると報告すると、改めて神様の力を実感し、私が幼かった頃よりも、神様を信じる気持ちが深まったようです。

うちの家族は、昔は父以外信者でしたが、弟はいつの間にか退会し、割と熱心だった叔母も従妹達も退会しました。

 

私自身熱心な信者ではなかったので、やめてしまう人の気持ちはわかります。

現に私は何年も教会費を払っていませんでした。

年間一万円弱なので払うことはできましたが、面倒で払っていなかっただけです。

納めるものを納めずに、困った時だけ神様を頼っていたなんて、なんて図々しい信者だったのかと今となっては思います。

 

ちなみに、私が小さい頃、大山ねずの命の話を一番してくれたのは叔母でした。

その叔母が、大山ねずの命の考え方が嫌いだと今は言っています。

詳しくは聞きませんでしたが、実は私も、『何か問題に直面した時、相手を責めるのではなく、自分自身に原因があると思え。まずは自分から変われ』という考え方が、いつまでも腑に落ちませんでした。

 

例えば夫との関係で苦しんでいた時、客観的に見ても夫が悪いと思っていました。

夫は本当に自己中心的な "俺様"体質です。

自分の母親やおばあちゃんにですら威張ってますし、家族にはすぐ声を荒げます。

誰かに感謝するという事がほとんどありません。

だから、『私にも悪いとこはあるけど、この人の方が何倍も悪い。自分に原因があると言われても、夫に原因があるのは一目瞭然。私が変わったとこで問題は解決しない。夫との問題に対しては神様の教えも通用しない。だから向こうが変わらない限り私もこの態度を崩さない』

ずっとこういう考えでした。

しかし、私が心を入れ替えたことで夫の態度も和らぎ、今では互いに相手を思いやれる仲の良い夫婦になれたのです。

 

神様の教えはどんな状況でも、どんな時代でも、どんな場所でも通用する真理だと、教会図書に書いてあります。

本当にその通りだと今では実感しています。

ただ、神様の教えを素直に理解し、受け入れ、それを実行するのは、多くの人にとってかなり難しいと思います

現に私も40年近くかかりました。

母も、二十歳くらいに入信したとして、今還暦を過ぎているので、信者になって40年強です。

おそらく理屈はわかる人はたくさんいると思います。

しかし、それを受け入れ、実行まで至れる人はどれだけいるでしょう。

私も、肺の問題を抱えなければ一生できなかったかもしれません。

理屈だけわかっても、その先に進むのが難しいため、途中で諦めてしまう人、問題が解決しないのを神様のせいにしてしまう人、教え自体を受け入れられなくなってしまう人がいるのだと思います。

 

大山ねずの命には、信者を縛る規則がありません。

周りの人との調和を大切にし、支え合い、助け合い、悔いのない、楽しく満ち足りた人生を送るにはどうすればいいか、また、どのように自分の悪い実体を抑え、自分の良さ、神様が与えて下さった良い運命を磨けるかを教えて下さるだけです。

規則がないのは自由で一見敷居が低そうに見えますが、教えを守れるか否か、神、直使を信じ切れるかどうかは、信者がどのような姿勢で教えと向き合うかにかかっています。

 

教会では、神様を心から信じ、教えに沿って生きるところに、希望の光(きぼうのみち)が通ると言われています。

希望の光とは、運命実体から逃れられない人間に真実の幸福を授けるため、大山ねずの命が、直使を通して現わされた救世の極意です。

神魂と心が重なるところに、苦悩から救われ、本来の運命実体以上の幸福を手に入れることができるとあります。

中には、すぐに教えを飲み込んで、神様と心重ねられる人もいるでしょう。

しかし私のように、信者といいながら教えに沿わない行いや、考え方をしている人、神様の教えをいつまで経っても悟るに至らない人も多いはずです。

つまり、信者になったからと言って、簡単に本当の救いを得ることはできないということです。

 

現在、難病かもしれないと告げられたあの日から約2ヶ月経ちました。

病名は不明なままで、症状は良くなってきているものの、まだ若干違和感も残っていますし、喘息のような症状も出ます。

コロナの流行で仕事へは行けず、経済的な打撃は大きいです。

それでも、一年前とは別人のような心境の変化を今も味わっています。

以前の私なら、確実に不安でピリピリしていたはずですが、不思議なくらいネガティブな感情が湧きません。

喘息のような症状が出て心細くなることもありますが、祈願すれば立ち直ります。

休校中の子供たちとずっと一緒にいれることが嬉しくて、毎日今日は何しようかとウキウキ考えています。

夫への愛情と、感謝の気持ちがいっぱいで、抱きしめずにはいられません。

一日一日がとても大切なものに感じます。

 

紆余曲折を得て、今私はようやく、本当の救いを得たと感じています。

 

体調の変化と肺の内視鏡検査

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心が一新された翌朝、肺の症状にも変化が表れていました。

左胸の圧迫感が少し軽くなっていたのです。

やっぱり祈願はすごいと、その威力に改めて感動しました。

 

それからは真剣に祈願をするようになり、教会図書を毎日読み、通信授業を申し込んで、引っ越してから長いこと参加していなかった勉強会を聴講するようになりました。

それまで頭に入ってこなかった教えが、不思議なくらい読み解けるようになっていてビックリしました。

これはこういうことだったのか、ああ、そういうことか、なるほど、そうか、と言った感じで、どんどん神の教えを吸収していきました。

 

信者の体験談などで、毎日教会図書を読むのが日課、勉強会が楽しい、などの声を聞いたことは何度もありますが、私はその度に、どこが楽しいの?空々しいと思うばかりでした。

そんな自分が、教えを学ぶことを楽しむ信者になっていったのです。

通信授業を全部聞き終えてしまうと、次回の更新が待ち遠しく思えます。

教会のHPが頻繁に更新されているので、それを毎日のようにチェックするのも癒しです。

 

子供、夫との憩いの時間も増えました。

彼らへの愛情が増し、愛しくて仕方ありません。

ただ一緒にいるだけで幸せで幸せで、もっともっと幸せにしてあげたいと感じる日々です。

私と夫が仲が悪かったことを知っていた子供たちは、急に仲良くなった私たちを見て、最初のうちは戸惑った様子でしたが、段々と慣れてくれたようです。

私が夫と仲良くなったことで、子供と夫の距離も縮まってきています。

夫は朝が苦手なので時々イライラしていることもありますが、私がそういう態度はみんな嫌な気持ちになると伝えると、文句を言わず、改善する努力をしてくれるようになりました。

このように、私の心境が変わったことで、家族全体に好影響がありました。

そして、私の左胸の状態も日ごとに良くなっていったのです。

 

そんな私が再び不安に陥ったのは、肺の内視鏡検査を受ける2日ほど前のことです。

どんな検査なのかと思ってネットで調べてみると、辛い、苦しい、医者でも受けたくない検査など、不安を煽るような情報が目につきました。

それまで検査のことなど全然考えなかったのですが、検査についての記事を読んだらさすがに怖くなってきました。

神様の教えには、現代社会は情報や知識が溢れかえり、それを目にしては迷ったり、不安になったりする人が多いとあります。

その時の私はまさにその状態でした。

夫に不安を打ち明けると、「大丈夫だからネットはもう見るな」と言って、慰めてくれましたが、まだ恐怖は消えません。

そういう時はやっぱり祈願です。

不安な気持ちを全て訴えると、やはり心が軽くなり、この調子で祈願をしながら臨めば大丈夫!という心強い気持ちになれました。

 

そして当日。

心臓がバクバクしましたが、いざ検査を受けてみると、想像していたよりも楽で拍子抜けしたほどです。

気管支に管を通され、液体を噴射される時にせき込むくらいで、麻酔されているので痛みは一切なく、えずく感じもほとんどありませんでした。

お医者様の腕が良かったのと、祈願でリラックスして臨めたおかげだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

祈願一つで生まれ変われた

 

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 笑顔を作ることはできたもの、子供たちの顔を見たらまた泣いてしまいそうだったので、子供たちが帰ってくる前に、『平静を保てますように』としっかり祈願しました。

おかげで子供たちの前で涙を見せずに済みました。

 

その晩私は、「幸福の光2 悩み別すがり方参考書」を再び取り出し、健康の悩みの項目を読みました。

第二子のことで悩んでいた時と同じく、まずは自分自身を見つめ直すことから開始。

健康を害した原因として挙げられているもので、当てはまるものはないか探しました。

私に当てはまったものは以下の通りです。

 

 

自分の心の在り方

 

〇 自分の心見つめ直したり、神、直視に頼る心を欠いていないか 

一難去るごとに、おざなりな祈願に戻り、自分を見つめ直すこともやめ、神様に頼る心も日に日に薄くなっていました。

 

〇 生あることに感謝を忘れていないか 

生きていることがあまりにも当たり前で、日々感謝するという概念が欠けていました。

 

〇 自分の器を超えて欲を求めすぎていないか 

食欲旺盛な私は、満腹になっても食べてしまう傾向にありました。美味しいものを家族に残さず全部食べてしまったり。また、経済的にゆとりがある人を羨む傾向もありました。

 

〇 肉体の親である両親、先祖に感謝を忘れていないか

親に夫の愚痴を漏らしてしまったことが幾度もあります。それが親不孝につながっていたと思います。それに、親の優しを当たり前に感じ、感謝心が薄かったです。祈願の時に、合わせて仏様にご挨拶をしますが、いつも投げやりな挨拶ばかりで、仏様を思う気持ちが欠けていました。

 

〇 人のことを恨んだり、憎んだり、見下げたり、悪の心を持っていないか 

夫への不平不満、恨み、憎しみ、見下げる心がありました。また、数年前義理の母と口論になり、それ以降彼女を恨む心が取れませんでした。

 

〇 周りの人々に感謝し、愛をかける心遣いを欠いていないか

自分中心になってしまうことが多く、周りの人に感謝する余裕を欠いていました。また、夫、義母への恨みから、いつも良くしてくれる義祖母にまで冷たい態度を取っていました。

 

過去の過ち

 

〇 道を外した行動を取ってこなかったか 

若い時は不摂生をしがちでした。欲に負けた行動をしたこともあります。

 

〇 親不孝してこなかったか

親に心配ばかりかけてきました。

 

〇 方位の過ちはなかったか

旅行、引っ越し、家の建てかえ等で、もしかしたら方位を侵していたことがあったかもしれません。

 

生活の仕方

 

〇 暴飲暴食や偏った食事、また過度の節食など、食生活の乱れはないか

食べ過ぎて体調を壊すこともあったのに、食欲を抑えられない生活が続きました。

 

〇 交通規則を初め、人の道である様々な規則を破っていないか

横断歩道で時々信号無視をしたり、その他知らず知らずのうちに規則を破っていたかもしれません。

 

 

原因がわかったら、祈願と共に改善に努めます。

 

 

自分の心の在り方を改める

 

〇 生あることに感謝し、明るい心で暮らす

痛みや苦しみも、神の教えに沿ってすがっていけば必ず抑えられていく。今どれほど病気や怪我で苦しんでいても、命さえあれば神直視にすがっているため、必ず生きる喜びを味わえる。命はすべての根本。生あることへの感謝を忘れないようにすること。そして、毎日を明るい心で生きていくこと。

 

〇 自分の運命の器を悟り、人と比べないようにする

健康面でも人それぞれの器がある。同じ病気であっても、病状や、その変化にも人によって差がある。だから人と比べてはいけない。神。直使にすがっていれば、その人の因縁の深さと心の悟りに合わせて、お守りくださる。

 

〇 体のことも、その他の願いも、神、直使に任せて焦らないようにする

神、直使にすがっていれば、必ずその人にとっての良い方向へと導いて下さる。まずは、ほとんどの人に症状の変化をもって神の実在を表して下さる。そして、その人の運命実体に合わせて、救いの道へと導いて下さる。必ず救っていただけると信じ、すべてを神、直視に任せ、焦らずにすがっていく。どうしても焦ってしまう時は、その気持ちを神、直使に訴え、「神、直使を心から信じられるようにしてください。そして、任せられる心にしてください」と祈願する。

 

〇 神、直使に、親、先祖に、周りの人々に感謝の心を持つ

人間は自分一人で生きているわけではない。だから、心の親である神、直使に対し、肉体の親である両親、先祖に対し、そして、自分を支えてくれる周りの人々に対して感謝の心を持つ。恩に報いる愛ある心遣いをする。

 

過去の過ちを清める

 

〇 神の教えに照らして自分の心を振り返る

道を外した行動をしなかったか、親不孝をしたことはないか、方位の過ちはないか、自分の過去を振り返ることが大切。

 

〇 反省したことを一つ一つ神、直視にざんげし、詫びる

自分自身を振り返り、気づいた様々な事柄を、神、直使に心を込めてざんげし、詫びる。本心からざんげし、詫びれば、心の親である神、直使はお許し下さる。

 

生活の仕方を改める

 

毎日規則正しい生活をし、自分の体調や器に応じた食生活をする。睡眠を十分にとり、自分なりに健康管理に配慮する。自分の体調に合わせて無理をしないようにし、体調を事細かく祈願で報告しながら生活する。

 

正しい処置をする

 

〇 患部に手を当て、症状が和らぐよう祈願する

祈願の際は、どこがどのように具合が悪いのか、いつからそのような症状なのか、原因と思われることは何か、など、具体的に述べる。そして症状が少しでも早く治まるようにと祈願する。痛み、苦しみ、辛さが和らぐまで熱意をこめて祈願する。

 

〇 症状に合わせて医学的な治療を受ける

 

〇 医学的な治療も祈願と共に受ける

薬を服用するときも、その効果があるよう、副作用が抑えられるよう祈願する。病院へ行くときも、正しい診断が出るよう、医師から的確に指導してもらえるよう、自分に合った最良の治療が受けられるよう事細かく祈願する。そうすることで、治療の効果も大きく表される。

 

開運を目指す

 

病気や怪我で苦しんだり、健康に恵まれないのは、自分自身をとりまく悪い因縁に原因があり、そこに心の在り方などが重なって悩みを生み出す。悪い因縁を断ち切り、良い運命実体の自分になること、つまり開運を求めることが必要。神、直使にすがり、神の教えを守って暮らしていけば、どれほど深い因縁があっても、大難が小難に、小難が無難にとお守りいただける。少しずつ悪い因縁も断ち切れ、開運へと近づいていける。

 

 

その日の夕方、私は30分近く祈願をしました。

過去の反省をしていると自分の至らなさを思い知り、自然と涙が出てきました。

症状の詳細、その時感じていた恐怖を赤裸々に語り、

「大山ねずの命を信じ切って、頼り切って、任せきることができますように。どうか心を軽くしてください」

こう祈願すると、それまで絶望の淵で弱り切っていた心が、みるみるうちに立ち直り、信じられないほど明るい気持ちになったのです。

ただ単に元気を明るい気持ちになっただけでなく、それまでとは明らかに違う心持になっていました。

子供たちに対する愛情が溢れかえり、日々変化し続ける子供の成長を、一瞬たりとも見逃したくないと思うようになった上、夫に対する恨み辛みはすっかり消え、代わりに、とことん優しくしてあげたいという愛おしさがこみ上げてきたのです。

信じられない心の変化です。

まるで生まれ変わったような気分でした。

 

不安で眠れないかもと思っていたのが嘘のように、その晩、私はぐっすり眠ることができました。

 

 

第二の転機 再び揺れる夫婦関係

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肺の調子は悪かったものの、夫と仲直りしたことで穏やかな日々を送っていました。

それまでほとんど会話も無く、別々の部屋で過ごしていた私たちですが、仲直りしてからは夕飯の後二人でテレビを見たり、お喋りをしたりするようになりました。

しかしそんな生活が続いたのは一か月半程度。

夕飯後私がリビングでくつろいでいても、夫は自分の部屋へ行ってしまうようになりました。

最初のうちは淋しいと感じました。

その時その気持ちを夫に話していたら良かったのでしょうが、そっちがそういう態度なら私だって、と、また意地になってしまいました。

夫への不満がぶり返し、私たちの関係は以前にも増して険悪になっていきました。

夫の優しさは一か月くらいしか続かない。

今度優しくされたってもう絶対信じない。

私たちは一生仲の良い夫婦にはなれないんだ。

子供が大きくなったら絶対離婚する、と頑なになっていました。

以前と同じ生活に逆戻りです。

 

夫と険悪な状態に陥ってから約2ヶ月後、私はMRI検査の結果を聞きに病院へ向かいました。

左肺の調子は明らかに悪いのに、私はそれをずっと楽観視していました。

自分に限って重病を患うはずがないという、よくある幻想です。

なので可能性がある病名を告げられても、初めて聞く病名だったこともありますが、薄い反応を示すくらいしかしませんでした。

とても珍しい病気で、治療には限界があると言ったことを告げられましたが、あまり病院にお世話になったことがないのと、こういう場面は人生初だったため、「そうですか」くらいしか言えませんでした。

それが軽い病気なのか、重病なのかすら聞く発想すらありませんでした。

本当にその病気かを確かめるため、翌週肺の内視鏡検査をすることになりました。

 

抱いていた幻想が音を立てて崩れ去ったのは、その帰り道、電車の中で病気について調べた時です。

それは余命ままで記された、進行性の不治の病だったのです。

私は愕然としました。

まだ可能性の段階でしたが、まさか自分がこんな病気を患うなんてありえない、信じられないという気持ちと恐怖でいっぱいになりました。

真っ先に思ったのは、第二子が高校生になる頃には私は生きていないかもしれない。

それはどうしても嫌だということです。

そんな深刻な病気だとは知らず、ずっと私の体調を心配していた母に、その病気の可能性があると既にメッセージを送ってしまったことも後悔しました。

 

帰宅後、夫に医師から告げられたことを話し、その後私は一人部屋で泣きました。

私が死んだら子供たちはどうなってしまうのだろうと考えると、涙が溢れて止まりません。

それまで感じたことのない悲しみと絶望感に襲われ、どうすればいいかわかりません。

その時夫が部屋に入ってきました。

泣いている私を優しく包み込み、夫は一緒に泣いてくれました。

私は素直に恐怖を打ち明け、あと10年は生きていたいと言いました。

夫は泣きながら、大丈夫、私がそんな病気なはずないと励ましてくれました。

そして、喧嘩するのはもうやめようと言ってくれました。

 

その言葉に救われ、私はようやく少し微笑むことができたのです。

 

第二の転機 肺に影と夫婦関係の変化

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第二子の学校生活が軌道に乗り、私たちは夏休みを迎えました。

それは、私がずっと楽しみにしていた実家への里帰りを意味します。

家族全員で楽しみにしていた帰省です。

私はこの帰省が方位を侵すことにならないよう、ずっと祈願をしていました。

ただその頃までには、夕方の祈願を忘れることが多々ありました。

仕事から帰ってあれこれしている間に忘れてしまうパターンと、面倒くさくてサボってしまう2パターンです。

それでも朝の祈願は欠かさずしていました。

 

待ちに待った夏休み。

母と一緒に人間ドックも予約しました。

人間ドックは私にとって初めての経験。

血液検査、胃カメラ、レントゲン、超音波検査、一通り受け、すぐ結果が出るものは検査後すぐお医者様から話を聞けました。

健康的な生活を送っているという自負があったので、どこも悪いとこなどないだろうと高を括っていたのですが、なんと母よりも私の方が指摘を受ける箇所が多かったのです。

中でも気になったのは、左肺にある小さな白い影。

念のため症状がなくとも精密検査をした方がいいとのことでした。

 

子供の頃頃喘息持ちで、度々発作を起こすこともありましたが、大人になってからは稀に息苦しくなる程度でほとんど治っていました。

ところが1,2年くらい前から気管支拡張剤を使わないと夜眠れなくなっていたので、もしかしてそれと関係があるのだろうかと思い、我が家に帰ってからすぐ、近くの病院へ行き、血液検査と尿検査、後日喘息の検査も受けました。

レントゲンで見る限り確かに肺に影はあるが、尿検査、血液検査、喘息の検査でも異常は見つからず、症状もないので今の段階ではなんとも言えない。

2ヶ月後にまたレントゲンを撮って様子を見ましょうということになりましたが、その後一週間くらいで左肺に違和感を感じるようになり、日増しに違和感を感じる部分が広がっていきました。

喘息のような息苦しさも悪化しました。

 

左胸にはっきり違和感を感じるようになってから一か月くらい経ったある日、症状が急激に悪化し、左肺だけあまり開かない感覚に襲われました。

息苦しさもひどくなっています。

すぐに病院に行きレントゲンを撮りましたが、前回撮った時と変わらないと言われました。

ただ、気管支拡張剤で息苦しさは抑えられると伝えたとこ、気管支拡張剤とステロイド薬を処方してもらえました。

そして念のため心電図ともう一度血液検査をすることになりました。

 薬のおかげか翌日から息苦しさは緩和されましたが、依然として胸の圧迫感は消えませんでした。

後日受けた心電図と血液検査でも異常は見つからず、以前とは違うより精密な呼吸機能検査も受けましたが、やはり喘息ではないと診断され、とうとうMRI検査を受けることになりました。

 

話は変わって、当時の夫との関係です。

実家に帰省した夏休みまで遡ります。

私の実家ですらぐうたらしている夫の態度に、私の怒りは頂点に達しました。

向こうも毎日のようにイライラしていて、私に辛辣な言葉を投げてきます。

頭にきて用がない時は一切無視をしていました。

 

こういう時こそ祈願を使って気持ちを抑えればいいのですが、夫のことで腹を立てた時は絶対祈願をしませんでした。

なぜなら、怒りが収まってしまったら、私が感じたのと同じくらい嫌な気持ちを、夫に味わわせることができないと思っていたからです。

なんて醜い心の動きだったことか。

でも、その時の私は、夫だけは絶対許せないと思っていたので、夫に関する問題はほとんど祈願したことはありませんでした。

それに頑固な人なので、祈願したところで変わるはずもないし、するだけ無駄と思っていました。

 

ところが、実家に滞在中両親も含めて小旅行をした時のことです。

夫と宿泊先で二人きりになる機会がありました。

夫は一人でアルコールを飲み、私は極力関わらないようにしていました。

すると、夫が突然泣き始めたのです。

何かと思って尋ねてみると、ずっと私に冷たくされて悲しかったと言うではありませんか。

私はビックリしてしまいました。

夫は私に嫌われていると思っていたそうです。

確かに嫌いな部分は沢山ありましたが、私の場合、冷たくされて腹を立てていたので、仕返しに冷たくしていただけです。

それが悪循環を生みだしていたのだと、その時初めて知りました。

その後私たちはお互いに謝罪し、仲直りをし、これからはもっと仲良くしようと約束しました。

それ以降、私は夫のことも祈願に取り入れることができるようになりました。

ところがその後、私たちの関係は再び大きく揺れ動くことになるのです。

 

内気な第二子の学校生活

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第二子の学校生活がとうとう始まりました。

最初のうちは案の定友達ができず、やることがないから休み時間が一番つまらないと言っていました。

学校から数百メートルの距離にある学童へは、同じクラスのAちゃんと一緒に行っていましたが、学童での遊び相手は同じ保育園だったJちゃんで、Aちゃんとは全く遊んでませんでした。

2週間経っても状況が変わらなかったため、また心が焦り始め、私は必死に祈願しました。

 

そんな時初めての保護者会がありました。

会が終わると、私はすぐにAちゃんのお母さんに話しかけました。

家は200メートルほどしか離れていないご近所さんなのですが、Aちゃんのお母さんとお話しするのは初めて。

うちの子がAちゃんに家に遊びに来てほしいと言っている、と伝えました。

私と彼女が話していると、別の保護者の方が私に話しかけてきました。

Kちゃんのお母さんです。

 

AちゃんとKちゃんは同じ保育園だったので、お母さん同士はもちろん知り合いです。

Kちゃんのお母さんはうちの子が別の保育園から来ていること、同じ保育園だった子がクラスにいないことを知っていました。

今もクラスの保護者代表をしているリーダーシップのある、アクティブな女性です。

うちの子が一人にならないようい、Kちゃんに毎日言い聞かせているから大丈夫と言ってくださいました。

Aちゃんのお母さんからも優しい言葉をかけていただき、涙が出るほど嬉しかったです。

 

Aちゃんが我が家に遊びに来たのは翌日のことです。

我が子もとても喜び、何時間も遊んでいました。

それからは学校でAちゃんと一番仲良くなり、徐々にKちゃんや他の子とも遊ぶようになっていきました。

友達の話をしてくれることも増え、Aちゃんとは一緒に登校するようになり、お互いの家を頻繁に行き来するようになりました。

ただし、学童で一緒に遊ぶのはやはり一番の友達、Jちゃん。

2年生になって学童が変わり、Jちゃんとは離れてしまいましたが、休みの日に遊んだり、今でもJちゃんが一番の親友であることに変わりありません。

同じ中学へ行くのを二人とも楽しみにしています。

 

第二子は今でも先生と話したり、皆の前で発言したり、グループワークや、あまり関わりのない子と話すのは苦手なようですが、休み時間が一番楽しいと言うようになり、友達の誕生会を待ちわびたり、自分の誕生会の計画を立てたり、学校のイベントも楽しみな様子です。

普段の生活を明るく元気に過ごしている我が子を見て、親として非常に満足し、安心しています。

 

 

内気な第二子の小学校入学② 悩みの原因と解決法

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極度の人見知りで内気な我が子が、誰も知らない子ばかりの小学校に入学したって友達ができるわけない、と思っていた私は、それならいっそのこと、仲の良い友達と同じ小学校に入れればいいのではないかと考えていました。

しかし頑固な夫が納得してくれるはずもありません。

それに、問題から逃避しても根本的な解決にはならないということを、すがり方参考書から学んだため、本に書いてある通り、子供のことで悩むようになった原因が自分にないか、まずはそれを考えることにしました。

 

原因として考えられるものが様々挙げられていたのですが、思い当たる節のなんと多かったことか。

私に当てはまったのはこちらです。

 

 

親としての心の在り方 

 

〇 親として子供にかける愛情を欠いていないか

愛情たっぷりに育てたはずですが、趣味の方に集中し過ぎて子供たちを十分かまえなかったり、子供と遊ぶのがだるいと思う日々がありました。

 

〇 兄弟や他人の子と比べていないか

第一子も人見知りな性格ですが、第二子と比べたら一般的な人見知りだったので特に心配はしませんでした。成長も第一子の方が早かったので、確かに比べることが多かったです。それに他の子とも比べて焦ることもよくありました。

 

〇 子供の器を超えて求めすぎていないか

人見知りで臆病な性格だと知っているにもかかわらず、無理難題を押し付けて困らせたことがります。平均より小さいので、小食なのに無理に食べさせたりしたこともありました。

 

〇 子育てを人任せにしていないか

義両親が近くに住んでいるため、赤ちゃんの頃から頻繁に預けていました。確かに任せっぱなしにしていた部分があります。

 

〇 夫婦の仲は良いか

これが一番の問題だったと思います。夫は子供が好きなタイプではないので、我が子とすら進んで関わろうとはせず、ご飯を食べる時間帯も違うので子供たちとの接点がほとんどありませんでした。それに私たちが口論している姿を物心つく前から見ていたせいか、子供たちは自ら夫と関わらない子になってしまいました。

 

〇 周りに対する温かい心遣いを欠いていないか

自分ではできていると思っていたのですが、よく考えてみると自分本位なことが多かったように思います。夫にはもちろんのこと、夫の親族に対しても、自分の親族に対しても、表面的には優しくしていましたが、本当の意味で温かい心遣いはできていませんでした。

 

〇 神、直使への愛を欠いていないか

救っていただいたことがあるにもかかわらず、感謝心は薄く、おざなりな祈願を繰り返し、困った時だけ頼ってばかりいました。

 

 

過去の過ち

 

〇 親に反抗しなかったか

大きな反抗期はありませんでしたが、特に思春期あたり親に口ごたえしたり逆らったことが何度もありました。

 

〇 親に心配をかけなかったか

大学入学以降、むしろ安心させてあげらられたことの方がありませんでした。

 

〇 方位の過ちはなかったか

大山ねずの命で用いられる方位とは、一般社会における風水などの方位とは異なる、神の世界で定められた目に見えない掟です。旅行、引っ越し、家の建てかえなどをして、知らないうちに方位を侵している可能性があります。

私は若い頃よく旅行をし、結婚を機に遠くに引っ越しました。もしかしたら方位を侵していたかもしれません。

 

 

子供に対する接し方

 

〇 親としてするべきことをせず、放任し過ぎていなかったか

本来私と夫ですべきことを、義両親に任せっきりになっていた部分がありました。

 

 

以上が思い当たる点です。

原因がわかったら、子供を変えようと思う前にまずは親側が改める。

改め方もそれぞれの項目ごとに細かく指南されていました。

まず改めるべきは子供に対する接し方です。

 

 

子供に対する接し方を改める

 

〇 祈願をしながら子供に接する

接し方を変えようと思っても、ついイライラしたりムっとしてしまうことがあるはず。なので朝の祈願、子供に接する前など、『子供がもっと心を開いてくれますように』『子供の気持ちを冷静に聞けますように』『もっと優しく接することができますように』等と祈願をする。

 

〇 感情的にならず、子供の気持ちを聞き、広い心で受け止める

親子だと遠慮なしに言い合ってしまいがちですが、まずは親の側から感情的にならず、子供の気持ちを受け止められるよう努力する。

 

〇 短所よりも長所を見て、それを伸ばせるように努める

誰にでも長所、短所がある。短所ばかりに目が行くと焦って悩みが募る。そのことでイライラしたり口うるさくなると、子供に反抗心が芽生え悪循環。心にゆとりを持って長所を褒め、子供の自信を引き出す。

 

 

親としての心の在り方を改める

 

〇 心の親である神、直使に向ける真心を向ける

 

〇 何事も神、直使を頼って行動する

祈願しながら行動を取ろうとする心が、ご守護を受ける基本。

 

〇 子供のことも自分の子とも、神、直使に任せて焦らないようにする

祈願したからと言ってすぐ結果が出るわけではない。悩みの大きさや、因縁の深さによって差はあるが、神、直使は必ず良い方向へ導いて下さるので、決して焦らず、信じ切って任せる。そうすれば安心感が生まれる。

 

〇 周りの子と比べないようにする

 

〇 自分に重ねて、子供の運命の器を見極める

神は、両親や先祖の人生をご覧になって、子供の運命を定められる。故に自分や親、先祖の人生を振り返り、ある程度子供の人生の器を見極める。そこに子供の能力や性格なども見えてきて、子供の器を超えて求める心が消える。

 

〇 親の望みで子供を縛らないようにする

 

〇 子供の気持ちを受け止められる心のゆとりを持つ

 

〇 神の教えに沿った愛ある心遣いをして、心に潤いを持つ

我が子のみならず、誰に対しても愛ある心遣いをしていく。そのような親の姿が、子供の姿勢にも必ず反映する。

 

 

過去の過ちを清める

 

〇 神の教えに照らして自分の心を振り返る

 

〇 反省したことを一つずつ神、直使にざんげし、詫びる

一つ一つ心を込めて詫びれば、神、直使は優しく許して下さる。本心から申し訳なかったと思ってざんげし、詫びることが重要。

 

 

自分側の原因を把握し、改善方法も分かり、私は以下のことを実行しました。

 

1、気持ちが落ち着くよう、自分の悪い部分が出ないよう、また、子供に安心感を与えられる接し方ができるよう祈願をする。

 

2、祈願の際子供がどのような問題を抱えているかを詳細に語り、それについては私が悩むのではなく、神様に全てお任せする。

 

3、過去の過ちを一つ一つ心を込めてざんげし、詫びていく。

 

すると、それまでずっと悶々としていた心が嘘のように軽くなっていったのです。

 

家族全員で教えを学ぶのが良いとも書かれていたのですが、夫は非科学的なもの、特に神様や宗教を毛嫌いしています。

なので、子供も自分で判断できるようになるまで、どこであれ宗教的なものには入信させないという考えです。

それでも一人で祈願を続けるうちに、私の心はみるみるうちに明るさを取り戻していきました。

以前よりも子供たちに優しく接することができるようになり、子供たちを喜ばせたいという思いが深まりました。