検査結果と本当の救い
結果は陰性でした。
結果が出るまでの4週間、もし大山ねずの命を知らなかったら、不安に押しつぶされ、笑顔になることなどできなかったでしょう。
精神的に参って眠れなくなり、仕事へ行けなくなっていたかもしれませんし、私の暗さが、夫や子供にも悪影響を与えていたかもしれません。
しかし、祈願と教会図書、教会公式サイトのおかげで、不思議なくらい毎日明るく過ごすことができました。
左胸が膨らまない感じも日増しに良くなっていたので、夫にもそれを告げました。
何か特別なことをしてるのかと問われ、神様にお願いしていると答えたら、鼻で笑われました。
この時初めて、夫や子供たちにも大山ねずの命の教えを知ってほしいなと思いました。
現在信者籍があるのは、私と母だけです。
私が深刻な病気かもしれないと告げられる前は、大山ねずの命をやめようかと思っていたそうですが、検査結果が出るまで私のために祈願してくれました。
症状がどんどん良くなっていると報告すると、改めて神様の力を実感し、私が幼かった頃よりも、神様を信じる気持ちが深まったようです。
うちの家族は、昔は父以外信者でしたが、弟はいつの間にか退会し、割と熱心だった叔母も従妹達も退会しました。
私自身熱心な信者ではなかったので、やめてしまう人の気持ちはわかります。
現に私は何年も教会費を払っていませんでした。
年間一万円弱なので払うことはできましたが、面倒で払っていなかっただけです。
納めるものを納めずに、困った時だけ神様を頼っていたなんて、なんて図々しい信者だったのかと今となっては思います。
ちなみに、私が小さい頃、大山ねずの命の話を一番してくれたのは叔母でした。
その叔母が、大山ねずの命の考え方が嫌いだと今は言っています。
詳しくは聞きませんでしたが、実は私も、『何か問題に直面した時、相手を責めるのではなく、自分自身に原因があると思え。まずは自分から変われ』という考え方が、いつまでも腑に落ちませんでした。
例えば夫との関係で苦しんでいた時、客観的に見ても夫が悪いと思っていました。
夫は本当に自己中心的な "俺様"体質です。
自分の母親やおばあちゃんにですら威張ってますし、家族にはすぐ声を荒げます。
誰かに感謝するという事がほとんどありません。
だから、『私にも悪いとこはあるけど、この人の方が何倍も悪い。自分に原因があると言われても、夫に原因があるのは一目瞭然。私が変わったとこで問題は解決しない。夫との問題に対しては神様の教えも通用しない。だから向こうが変わらない限り私もこの態度を崩さない』
ずっとこういう考えでした。
しかし、私が心を入れ替えたことで夫の態度も和らぎ、今では互いに相手を思いやれる仲の良い夫婦になれたのです。
神様の教えはどんな状況でも、どんな時代でも、どんな場所でも通用する真理だと、教会図書に書いてあります。
本当にその通りだと今では実感しています。
ただ、神様の教えを素直に理解し、受け入れ、それを実行するのは、多くの人にとってかなり難しいと思います
現に私も40年近くかかりました。
母も、二十歳くらいに入信したとして、今還暦を過ぎているので、信者になって40年強です。
おそらく理屈はわかる人はたくさんいると思います。
しかし、それを受け入れ、実行まで至れる人はどれだけいるでしょう。
私も、肺の問題を抱えなければ一生できなかったかもしれません。
理屈だけわかっても、その先に進むのが難しいため、途中で諦めてしまう人、問題が解決しないのを神様のせいにしてしまう人、教え自体を受け入れられなくなってしまう人がいるのだと思います。
大山ねずの命には、信者を縛る規則がありません。
周りの人との調和を大切にし、支え合い、助け合い、悔いのない、楽しく満ち足りた人生を送るにはどうすればいいか、また、どのように自分の悪い実体を抑え、自分の良さ、神様が与えて下さった良い運命を磨けるかを教えて下さるだけです。
規則がないのは自由で一見敷居が低そうに見えますが、教えを守れるか否か、神、直使を信じ切れるかどうかは、信者がどのような姿勢で教えと向き合うかにかかっています。
教会では、神様を心から信じ、教えに沿って生きるところに、希望の光(きぼうのみち)が通ると言われています。
希望の光とは、運命実体から逃れられない人間に真実の幸福を授けるため、大山ねずの命が、直使を通して現わされた救世の極意です。
神魂と心が重なるところに、苦悩から救われ、本来の運命実体以上の幸福を手に入れることができるとあります。
中には、すぐに教えを飲み込んで、神様と心重ねられる人もいるでしょう。
しかし私のように、信者といいながら教えに沿わない行いや、考え方をしている人、神様の教えをいつまで経っても悟るに至らない人も多いはずです。
つまり、信者になったからと言って、簡単に本当の救いを得ることはできないということです。
現在、難病かもしれないと告げられたあの日から約2ヶ月経ちました。
病名は不明なままで、症状は良くなってきているものの、まだ若干違和感も残っていますし、喘息のような症状も出ます。
コロナの流行で仕事へは行けず、経済的な打撃は大きいです。
それでも、一年前とは別人のような心境の変化を今も味わっています。
以前の私なら、確実に不安でピリピリしていたはずですが、不思議なくらいネガティブな感情が湧きません。
喘息のような症状が出て心細くなることもありますが、祈願すれば立ち直ります。
休校中の子供たちとずっと一緒にいれることが嬉しくて、毎日今日は何しようかとウキウキ考えています。
夫への愛情と、感謝の気持ちがいっぱいで、抱きしめずにはいられません。
一日一日がとても大切なものに感じます。
紆余曲折を得て、今私はようやく、本当の救いを得たと感じています。